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岩崎城 (陸奥国) : ウィキペディア日本語版
岩崎城 (陸奥国)[いわさきじょう]

岩崎城(いわさきじょう)は、岩手県北上市和賀町岩崎にある日本の城。領主・和賀氏一族の居城。
== 沿革 ==
岩崎城は、陸奥国和賀郡岩崎村にあった和賀氏の城で、本城である二子城に次ぐ規模を誇っていた。
鎌倉後期の和賀氏系図〔(鬼柳文書)〕によれば、和賀景行(入道行仏)が譲得した所領の中に梅木郷(現在の岩崎一帯)ほかが見える。
南北朝期の岩崎城付近は南朝方に属していた同族の須々孫氏との境界に近く、暦応 4年(興国 2年:1341年)南朝方の北畠顕信に「岩崎楯」が攻められて、鬼柳清義が討死したという〔。戦国期には和賀氏庶流の岩崎氏の居城となった。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置によって和賀氏は所領を没収され、城地追放の処分を受けた。これに対し葛西大崎一揆に協調した和賀義忠が稗貫氏とともに旧領回復を目指して挙兵した(和賀・稗貫一揆)。しかし奥州再仕置軍に鎮圧され、和賀郡は南部氏領となり郡内の5ヶ所の城は後に破却することとなった。天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「岩崎 山城 破 信直抱 代官 藤 四 郎」とある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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